2009年05月20日

公転の運動を考えました。

公転とはある物体が別の物体を中心にした円又は楕円の軌道に沿って回る運動の呼び名である。

天文学で言う公転は、ある天体が系の重心の周りを周回することを指す。たとえば、「地球は太陽の周りを公転している」などと言う。系の重心に恒星が存在する場合、この星を主星と呼び、公転する星を伴星と呼ぶ。また、惑星の周囲を衛星が周回する場合や渦巻銀河の内部で恒星が周回する運動も公転と呼ぶ。

公転運動の重心に常に天体が存在するとは限らない。例えば質量の差が大きくない2つの恒星が連星を作っているような場合には、系の重心は2つの星の間に位置する。

また、公転する物体は恒星や惑星、衛星に限らず、塵やガスなどが公転している系も数多く存在する。太陽系の例では、木星、土星、天王星などの惑星の環は塵や氷などの小さな粒子からできていて、これらの粒子がそれぞれの惑星の周りを公転しているものと考えられている。ブラックホールなどでは、吸い込まれる物質がブラックホールの周囲に集まって公転運動を行い、円盤を形成する。これを降着円盤という。

公転運動の元となる重力源の質量が重力源から公転天体までの距離によらず一定の場合には、公転周期の2乗が軌道長半径の3乗に比例するというケプラーの第三法則が成り立つ。銀河内部の恒星の公転運動などの場合には、銀河の物質が銀河中心からの距離に従って連続的に分布しているため、恒星の公転運動は銀河中心からその恒星の位置までの間に分布している銀河物質全体からの重力で決まる。

電荷同士の間に働く電磁気力も、重力と同様に強さが距離の逆二乗に比例する中心力なので、天体が重力によって公転するのと同様に荷電粒子同士も公転運動を行なう。例として、電子が原子核の周りを回る運動を公転と呼ぶ場合がある。

他にも、自らが回転している事を自転という。

火星の公転の見え方について見え方は実際の火星の動きとは異なっていて、きれいな楕円形を描くようには見えない。これは地球の公転と火星の公転の速さが違うためである。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

こんな動きを公転と呼ぶんですね。

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2008年12月08日

私設私書箱 陰山 のドアクローザ

良く見るあれの名前です。


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ドアクローザ (door closer) あるいはドアチェックは、扉(開き戸)に取り付けられる装置で、人によって開けられた扉を自動的に閉める働きをするもの。

その際、急激に閉じることがないように動作を緩慢にする機能ももつ。逆に風などで不用意に扉が開かないように押さえる働きもする。大きく開いているときの動く速度、閉じる直前のときの動く速度など、4段階程度に、速度を個別に設定できる。閉じる途中は速い動きですみやかな閉じ動作を行い、全閉直前の指を挟む危険がある位置からはゆっくりとした動きとなり、安全かつ静穏な閉じ方をする。

ドアクローザはそれ自体は動力は持たず、扉が開けられた時の力をバネなどに蓄えると同時に、オイルの粘性を利用した減速装置 (ダンパー)により急激な動きを抑えるような仕組みとなっている。

扉をある角度まで開け放った場合、開いたままの状態で保持する機能を持つものもある。

通常、扉の上部の蝶番(ちょうつがい)寄りに取り付けられる。取り付け方法により、スタンダード式とパラレル式がある。一般的には玄関に取り付けられるが、トイレなどの室内に取り付ける製品もある。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』

2008年02月26日

もっと考えねば!

最近栄養のバランスが…。

栄養素(えいようそ)とは、生物が生命を維持し、健康を増進するために利用される物質である。エネルギー源や、生体を構成するのに必要とされる材料、生体内での各種の化学反応に必要な物質である。

栄養素の欠乏と生活習慣病を予防する目的で、食事摂取基準や食生活指針が策定され、その摂取基準が示されている。

ヒトが摂取する栄養素のうちタンパク質、炭水化物、脂肪の3つを三大栄養素と呼ぶ。これらから得られる生理的熱量は、タンパク質と炭水化物は1グラムあたり4キロカロリー、脂肪では9キロカロリーであり、ヒトの主要なエネルギー源となっている。

タンパク質(Protein)・脂肪(Fat)・炭水化物(Carbohydrate)のカロリーベースでの摂取バランスのことを、それぞれの頭文字をとってPFCバランスという。この中で、脂肪の比率を25?30%以下に抑えることが、生活習慣病を予防するための食生活指針の考えの一つとなっている。炭水化物は一般的に60%前後ともっとも多く必要だと考えられており、日本の食生活指針では炭水化物を主に提供する食品を主食としている[1]。

三大栄養素は O(酸素)、C(炭素)、H(水素)、N(窒素)といった細胞の主要な構成物質の供給源でもある。炭水化物と脂質はCHO、タンパク質はCHONを主にそれぞれ含んでいる。三大栄養素やビタミンは有機化合物であり、有機栄養素と呼ぶこともある[2]。また三大栄養素以外ではH2O(水)もこの元素できている。

五大栄養素は、三大栄養素にミネラルとビタミンを加えたものである。ビタミンやミネラルは三大栄養素ほどの量が必要とされないために微量栄養素と呼ばれる。

ミネラルは無機化合物であり、ナトリウム塩(食塩)カリウム塩・カルシウム塩・マグネシウム塩などの無機塩類の形で存在するものもある。ミネラルは無機栄養素と呼ばれることもある[2]。

これらの他に日本の食事摂取基準で栄養素と定義されるものに、食物繊維がある。

詳細は食物繊維を参照

食物繊維はヒトが食物として摂取する多糖のうち、難消化性のものである。以前には、例えば玄米には栄養素が多いが未消化物も多いという理由で7分搗きに精白した米の摂取を推進するなど[3]、食物繊維は長年役に立たないと考えられてきた。しかし、1970年前後にバーキット(Denis Burkitt)が食物繊維が少ないと腸の病気が増えるのではないかという仮説を報告し、広く認識されていった。今では研究が進んだ結果、有用であることがわかっている。2003年、世界保健機関(WHO)と国連食糧農業機関(FAO)による「食事、栄養と生活習慣病の予防[4] 」(Diet, Nutrition and the Prevention of Chronic Diseases) では、肥満、2型糖尿病、心臓病のリスクを下げると報告し、玄米のような全粒穀物をすすめている。日本では2000年の「第6次改定日本人の栄養所要量[5]」から栄養素として公的に摂取量が設定された。
(以上、ウィキペディアより引用)

やはりバランスが大事なんですね!

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2008年02月11日

イソギンチャクの触手

ちょっと気持ち悪いですよね。
でもこんな働きが出来るなんて本当におもしろいですね。

触手と刺胞
触手は、イソギンチャクで最も目立つ部分である。普通、触手は口盤の周辺に沿って並んでおり、放射状に広がっている。敵などに触れると触手を縮め、強く刺激すれば口盤をも縮め、てっぺんがすぼまった形になる。そっとしておけば、また触手を伸ばし始める。

触手の形で変わっているものとしては、ハナブサイソギンチャクなど、触手に横枝があるものがある。触手の形は普通でも、口盤が波打っていたりすると、見かけは随分変わった形になる。ハタゴイソギンチャクやヒダベリイソギンチャクなどがそういったものである。

餌になる小動物が触れた場合には、触手がそれに触れて餌が毒で麻痺してから、口に運んで丸のみにする。微小な餌を捕らえるものは、口盤の表面の繊毛によって餌が口に運ばれる。餌は胃腔に取り込まれ、消化液で分解され、吸収される。未消化物(糞など)は再び口から吐き出される。

ただし、予想されるほどの餌を取ってはいないとの報告もあり、海水中の有機物を直接取り入れる仕組みがあるのではとの説もある。ただ、実際に捕食しているのは書籍などで紹介されているような大型の魚類などよりも小型のプランクトン性の甲殻類などであることが多いようである。また、近縁のイシサンゴ類と同様に体内に褐虫藻と呼ばれる渦鞭毛藻類に属する藻類を共生させており、ここから多くのエネルギーを得ている種も多く知られている。本州や九州など日本列島中央部の岩礁潮間帯で普通に見られるヨロイイソギンチャクが褐色をしているのがこの共生藻類の色によるものであるし、サンゴイソギンチャクなど珊瑚礁域などでクマノミと共生しているような大型のイソギンチャクもこうした共生藻類による栄養摂取に多くを依存しているものが多い。

触手には刺胞と呼ばれる小さな袋状の構造が多数並んでいる。この刺胞には長い針が、巻き込まれるか折り畳まれるかして入っており、何かに触れるとその針が打ち出される。いくつかの種類があり、長い針が刺さってくっつくようになっているものもあれば、毒液を注入するものもある。これらが餌を捕獲する時や敵からの防御に働く。また、刺胞は、触手以外にも、体表面の突起部分にそれを持つ種もある。また、体内にある隔膜糸や槍糸というものにも刺胞があり、タテジマイソギンチャクなど、種によってはこれを体外に出して攻撃用に用いる。

大部分のイソギンチャクの毒は、人間には影響を与えない程度のものであるが、日本の珊瑚礁海域にも生息するウンバチイソギンチャク(海蜂磯巾着の意)など一部にとても毒が強いものがあるので、該当海域では注意を要する。

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2008年01月23日

ルネサンス音楽

って?ルネサンスて美術のことじゃなかった?

ルネサンス音楽とは、ヨーロッパにおいて、15世紀から16世紀のルネサンス期に作られた音楽の総称である。中世西洋音楽とバロック音楽の中間に位置し、その中心をなすのは、ポリフォニーによる声楽、とくに、宗教曲である。中世・ルネサンス音楽をまとめて、初期音楽 early musicということがある。

ルネサンスとは「再生」を意味する言葉で、古代ギリシャ・ローマの復興を目指した14世紀から16世紀頃の(主にイタリアの)文化運動(絵画、彫刻、建築、文学)に適用される概念である(ルネサンスの項目を参照)。同時代の北方のブルゴーニュ等にも新しい芸術・文化の動きが生まれつつあった。これらは「古代の復興」という意識とは直接の関係を持たないが、「ルネサンス期」の芸術と呼ばれる。

音楽に関しては、古代ギリシア・ローマ時代の音楽を復興しようという動きはイタリアを中心として常にあったが、理論を中心とする議論にとどまっており、実際の音楽の復元という観点ではそれほどの発展はなかった。15世紀から16世紀のヨーロッパの音楽で「ルネサンス音楽」と呼ばれるものの多くは、古代の音楽を復興した音楽という意味ではなく、美術、芸術、文化史における「ルネサンス」期に対応する時代の音楽という意味である。

ルネサンス音楽は、イギリスのジョン・ダンスタブルが大陸にイギリス独自の3度・6度の和音を伝え、それがフランスのアイソリズム、イタリアのトレチェント音楽の持つ優美な旋律の作風と統合されることによって始まった。その初期に重要な役割をしたのは、デュファイとそれに続くブルゴーニュ楽派と呼ばれる作曲家達である。

ルネサンス音楽中期においては、ジョスカン・デ・プレなどに代表されるフランドル楽派が活躍し、通模倣様式 を用いた循環ミサ曲、モテットなどの宗教曲や、シャンソンと呼ばれる世俗曲を作曲した。

いわゆる美術文化史のルネサンス芸術はイタリアがその中心地であったが、初期、中期までのルネサンス音楽に関してはブルゴーニュ、フランドルが重要である。音楽に関しても、イタリアの教皇庁をはじめ各地の宮廷や教会はヨーロッパにおける文化パトロネージの中心地であったが、そのイタリアにあっても、宮廷や教会付きの音楽家はその多くがフランドル、ブルゴーニュの出身者で占められていた。14世紀から15世紀にかけて、フランドル地方は商業によって栄え、当時のアルプス以北のヨーロッパの経済・文化の一大中心地となった。この地域を統治したブルゴーニュ公国が文化・芸術を奨励したため、各都市の聖堂の聖歌隊は、欧州の音楽家の養成所となっており、ここで才能を発揮した音楽家(歌手)は、主としてイタリア、そしてドイツ、東欧、スペインなどに出稼ぎに行ったのである。特にローマ教皇庁に勤務して聖職禄をもらい、晩年は、フランドルの聖堂参事会員として悠々自適の暮らしをするのが流行となった。この出稼ぎと、写本や16世紀以降の出版楽譜の普及によって、フランドル風の音楽様式は全ヨーロッパに普及した。

15世紀末から16世紀前半にかけて、イベリア半島のスペインやポルトガルでは大航海時代を迎えて国力の絶頂期にあり、トマス・ルイス・デ・ビクトリアなどの音楽家が活躍した。イギリスにおいては、トマス・タリスやウィリアム・バードらが活躍した。

ルネサンス音楽後期になると、イタリアでローマ楽派、ヴェネツィア楽派などが活躍した(音楽におけるマニエリスム)。この時期のイタリアではマドリガーレと呼ばれる世俗曲が勃興し、モノディー様式の発生とともにバロック音楽への移行の基礎を作った。

この時期のドイツはいまだ文化後進地域の色合いが強く、本格的な音楽文化の発展はバロック期までまたねばならなかった。
(以上、ウィキペディアより引用)

「再生」を意味する言葉らしいです!

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2007年12月14日

スプーン

歴史は意外と浅いようです。

スプーンとは、食品や薬品をすくい取ったり、混ぜたり、量ったり、潰したりする道具のこと。主に、料理を食べるときの食器として使われる。匙(さじ)ともいう。形状はものを乗せる皿状の部分と手で持つための柄からなるのが一般的である。素材は、ステンレス・金・銀、真鍮やニッケルなどをめっきしたものなど金属製のものが多いが、木製や陶器製のもの、角や骨を材料に使う地域もある。

スプーンの歴史
ヨーロッパでは、新石器時代に使われた陶器製や骨を削ったスプーンが発掘されている。ギリシャ・ローマ時代には薬品の調合用や調理用としてスプーンが使われていた。しかし、一般には普及したのは、17世紀-18世紀になってからである。ナイフ・フォーク・スプーンのセットで食事する形式が確立されたのは、19世紀ごろといわれている。

イギリスでは、洗礼式にスプーンを贈られる習慣があり、身分や貧富の差によって材質が異なっていた。このことから、裕福な家で生まれたことを表す「銀の匙をくわえて生まれてきた」という言い回しができた。

日本でも旧石器時代-石器時代頃の埋蔵品から木製の匙が出土されるが文書として残っているものでは、『今昔物語』によると、平安時代には貴族が銀の匙を使っていたようである。蓮の花びらに形が似ていることから蓮華(れんげ)の呼称が生まれたとされている。しかし、お椀を直接口に運んで汁を飲む習慣から、箸のようには定着せず、茶の湯の道具などとして使われるにとどまった。江戸時代に、将軍家や大名の侍医のことを匙を使って薬を量ることから「お匙」と呼んでいた。このことから、医者が患者を見放すことを「匙を投げる」というようになったとされる。

明治以降、カレーライスなどの洋食の普及に伴って、家庭にもスプーンが普及するようになった。

なお、中国や朝鮮など日本以外の東アジアの国々では、お椀を直接口に運んで汁を飲む習慣がなく、匙と箸を使って食事する。箸だけで食事をするのは乞食の所作、とこれらの国々では考えられているようだ。

また、ユリ・ゲラーの影響で、超能力や手品においてスプーンを曲げる行為がよく見られる。
(以上、ウィキペディアより引用)

スプーン曲げ挑戦しましたよ!

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2007年12月05日

最大炊飯能力すんごい


炊飯限定約600名ぶんのお米を炊く働き者です。

灯油バーナーへの着火方法
ガソリンに浸した布(通常は武器の手入れに使われる布の切れ端か、ポータブルストーブの芯がそのまま流用される)のついた鉄の棒にライター等で着火してから、それを釜の中に挿し入れる。
ガソリンと圧縮空気を適量出してバーナーに着火し、先ずバーナー近辺の温度を上昇させる(これによりバーナー周囲の燃料パイプを加熱し灯油が気化しやすい状態を作り出している)。
その後バーナーの炎が安定(炎が浮き上がるのを待つと確実である)したら、圧縮空気を弱めながら灯油を出し始める。夏季を除き、灯油を先に出してから次に空気を止める方が安定し確実である。
灯油の炎が安定したら(夏季3分・冬季5分前後を要する)、ガソリンを止めて灯油だけで燃焼させる。ガソリンを止めて炎が赤くなるようならば再びガソリンをほんの少し加えて燃焼させ、一定の時間経過後ガソリンを止める。

この手順にていかなる寒冷地、湿地帯、雨天条件等においても安定した着火をさせることは容易であるが、その操作手順を誤ると最悪爆発等の事故になることがある。
火力調整は水道等の蛇口と同じで、反時計まわりで強くなるが、縦に設置されているので操作に慣れていないと間違えるケースがある。
後述する消火操作を正しく行なわなかった場合に灯油パイプが詰まっていることがあり、その際はガソリンのみで着火、継続燃焼させる場合もある(あくまで緊急避難的運用であり危険なので熟練した隊員が操作することが望ましい)。

着火後バーナー内部のねじの緩み等で燃料漏れが起こり発火する危険が非常に高いので、極力その場から離れないようにすることが望ましい。発火した場合は、燃料のメインバルブ(車両前部左右に設置)を閉めた後、水道(ポリタンク)の水や消火器で消火する。消火器の使用は炊飯作業等を考慮し、真にやむを得ない状態に陥った場合の最終手段として用いることが望ましい。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年11月12日

冬の季節

気候と自然は同じ地球でもこんなに異なります。
でも冬は少し嫌いです。

冬という季節が生まれるのは、太陽高度の差によって気温が変わることが大きな原因である。地球が地軸を傾けて公転しているために、同じ地点でも季節により太陽高度が変わり、太陽高度が低くなると冬になる。北半球が冬のときは南半球は太陽高度が高くなるため夏となり、南半球が冬のときは同様に北半球は夏となる。

赤道に近い低緯度地域では、季節による太陽高度の差が小さいので冬に目立った気象の変化はない。また、極地や高緯度地域では冬に太陽が昇らない極夜という現象が起こる。

また、その土地の標高や気団、海流、風などが冬の気候に影響を与えるため、同じ緯度にあっても冬の気候に差が出る。例えば、北緯43度付近にあるモナコでは1月の最低気温は8度前後だが、同じ緯度にある旭川では同じ月に-12度前後まで下がる。

日本では秋から次第に寒くなり、やがて野外で霜や雪など氷に関わる現象が見られるのが冬である。また、冬至までは昼間の時間は短くなり、夜が長くなる。

シベリア高気圧が張り出し、西高東低の気圧配置になると、これを冬型の気圧配置といって、北西の季節風(北風)が強く吹き、日本海側では雪、太平洋側では空気が乾燥して晴れとなる。

それにつれて生物は活動を控え、冬眠や越冬にはいる。落葉樹は葉を落とし、宿根草は地上部を枯らす。人間は防寒を主目的とした冬服に着替え、さらに襟巻きなどの防寒具を着用する。それでも弱い人は霜焼けを起こす。暖房器具を出すのも冬のこと、こたつやストーブに体を寄せ合う楽しみもある。それに起因する一酸化炭素中毒も冬によく発生する。

寒さが弱い冬を暖冬(だんとう)という。逆に寒さが厳しい冬を、厳冬(げんとう)や寒冬(かんとう)という。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)
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2007年10月20日

マスノスケの別名

マスノスケの別名ってキングサーモンなんだって。
なんだかね…。


アラスカで捕獲されたマスノスケマスノスケ Oncorhynchus tshawytscha (鱒の介、英名:Chinook salmon)は、サケ目サケ科に属する魚。他に、キングサーモン(King salmon) の名で知られる。
別名
キングサーモン以外の別名にはスケ(介)・スケマス(介鱒)・オオスケ(大介)などがある。標準的な和名であるマスノスケやこれらの名称に含まれる「スケ」とは、国司の四等官のうち次官である介(すけ)を意味する。現地赴任する国司のうちの官位筆頭者で任国で強権を振るった受領は次官の介が多く、普通のサケ(シロザケ)やマス(サクラマス)よりも巨大なこの種を、サケやマスの親分格の存在と看做し、国衙に君臨する介に例えたものである。

生態
アラスカからカムチャツカ半島にかけて、北太平洋を中心にオホーツク海、日本海北部などに棲息。日本国内ではロシアに回帰する一部の個体が、主に北海道の太平洋沿岸で漁獲されるものの、数は多くない。尚、国内には恒常的な産卵場所となる河川は存在しないが、東北地方以北の河川で捕獲された例がある。孵化後、海洋で1?5年ほど生活し、多くの個体は4?6年で成熟。その後は産卵のため、再び生まれ育った川を目指して遡上する。また、アラスカ産の個体の中には、川に入ってから産卵場所となる上流にたどり着くまで、遡上する距離が1,000kmを超えるものも存在する。

タイヘイヨウサケ属の魚はサケ(シロザケ)、ベニザケ、カラフトマスのような動物プランクトンを主に食べて育つ種と、サクラマス、ギンザケのように他の魚類を主に捕食する種に大別されるが、マスノスケは魚食性のタイヘイヨウサケ属魚類の代表で、成魚はニシン、イカナゴなどを捕食する。食物連鎖の上で高位にあることもあり、プランクトン食のサケ類と比べて資源量ははるかに少ない。

いわゆるサケ類の魚の中では、北海道に生息するイトウと並んで最大級の大きさを誇り(大きなものでは体長が2m、体重は60kgを超えるものも存在する)、体色は、背面は黒色点が散在する青緑色、腹部は銀白色をしている。尾鰭には銀色の放射条と黒色斑があることで他のサケ・マスと区別できる。また体に対する目の大きさも、他のサケ・マス類と比較してやや小さめである。


用途
本種はサケ類の中でも特に脂肪分が多く、美味とされる。国内で流通するものの多くはアラスカやロシアなどからの輸入もの(主に海中で養殖された個体)であり、日本産は少ない。主な用途は缶詰加工、塩漬けの切り身(焼き魚用)、燻製(スモークサーモン)、刺身など。また卵も他のサケ同様、イクラなどに加工される。尚、鮮魚店などでは「キングサーモン」の名称で販売されていることが多いが、別種であるタイセイヨウサケ(アトランティックサーモン)が同じ名称で並べられている場合も多い。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年09月25日

ヴェネツィアに行ってみましょう

ヴェネツィアに行ってみましょう

ヴェネツィア( 伊:Comune di Venezia)は、イタリアの北東部に位置するコムーネで、ヴェネト州の州都、ヴェネツィア県の県庁所在地である。

中世にはヴェネツィア共和国の首都として盛えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」など、数々の名声を我が物にしてきた。

古来はラテン語でウェネティ人の土地を意味し、ウェネティ人が住んでいたアドリア海の奥に拡がる土地をウェネティア(Venetia)と呼んだ事から来ている。この綴りをそのままイタリアでのラテン語の読み方に従うとヴェネツィアとなる。英語でヴェニス(Venice)、フランス語でヴニーズ(Venise)、ドイツ語でヴェネーディヒ(Venedig)と呼ばれる。漢字ではヴェニスを音訳して威尼斯と表記する。ヴェネツィア方言では同音でVenezsiaと表記される。

日本語では表記の揺れが激しく、イタリア語から来たものでもヴェネーツィアを始めとして、ヴェネチア、ベネチア、ベネツィア果てはベネティア、ヴェネティアなどもある。英語由来ではヴェニス、ベニスなどと書かれる。救いはまぎらわしい地名がないことである。

アドリア海の最深部、ヴェネツィア湾にできた「ラグーナ(潟)」の上に築かれた、運河が縦横に走る水の都である。

ヴェネツィア本島は大きな魚のような形をしており、その真ん中を逆S字形に「大運河(カナル・グランデ)」が流れている。また、島のあちこちを細い運河が流れており、本島全体が小さな島々から出来ている。運河には大小の無数の橋がかかっており、また地上には狭い道路が迷路のように巡っている。

ヴェネツィアは、セスティエーレと呼ばれるそれぞれが、ドルソドゥーロ(Dorsoduro)、サンタ・クローチェ(Santa Croce)、サン・ポーロ(San Polo)、サン・マルコ(San Marco)、カンナレージョ(Cannaregio)、カステッロ(Castello)という地区に分れている。

本島のすぐ南には、「サン・ジョルジョ・マッジョーレ島」「ジュデッカ島」、さらに南に下ると映画『ベニスに死す』で有名な「リード島」がある。また、本島のすぐ北には、墓地となっている「サン・ミケーレ島」、さらに北にはヴェネツィアングラスで有名な「ムラーノ島」、レース編産業の地「ブラーノ島」、そして、もっとも古い時代に栄えた「トルチェッロ島」がある。

干潟に建物を建てるため、大量の丸太の杭を打ち込みそれを建物の土台とした。そのため、ヴェネツィアを逆さまにすると森ができる(地中に丸太が乱立するがごとく大量に打ち込まれたため)、と言われている。

かつては海上に浮かぶ孤島であったが、オーストリア帝国治世下の1846年にイタリア本土との間に鉄道が引かれ、後に自動車用道路の「リベルタ橋」も引かれ、イタリア本土との往来は容易である。ただし、ヴェネツィア本島内は車での移動は禁止(自転車を含む。乳母車、車椅子は可)されているため、自家用車はリベルタ橋をわたったすぐにある「ローマ広場」の駐車場に置いて、島内を徒歩か船舶で移動することになる。

車が入れないために、また、運河が発達していることもあり、主な交通機関は必然的に船になり、水上路線バスの「ヴァポレット(Vaporetto)」や水上タクシーの「モトスカーフィ(Motoscafi)」、大運河の岸と岸を渡る渡し舟「トラゲット(Traghetto)」が、大運河、および、ヴェネツィア湾内を縦横無尽に走っている。警察もボートで警邏を行う。また、運河に面した玄関を持つ建物も多い。なお、ゴンドラと呼ばれる手漕ぎの舟が有名だが、現在では一部の渡し舟を除き観光用途で運行されている。

大潮、気圧の変化、そして、アドリア海を南から吹く風「シロッコ」の3つの要因が重なると、「アクア・アルタ(acqua alta、高水の意)」と呼ばれる高潮がヴェネツィア湾で起こる。このとき、ヴェネツィアの街中まで水が入り込み、特に一番低い「サン・マルコ広場」は水没する(広場や道路には臨時の高床が組まれ、通行を確保する)。過去に北の対岸の本土マルゲーラ地区で工業用の地下水のくみ上げが行われたことにより地盤沈下が起こり、アクア・アルタによる洪水の水位が1m以上になったこともある。更に今後の地球温暖化によって海面上昇が加速されることとなれば、将来ヴェネツィアの街全体がアドリア海に水没してしまうことが懸念されている。水没を防ぐために、アドリア海との間に3カ所の水門を設けるモーゼ計画が提案されたが、環境やヴェネツィアの潟に与える影響が懸念され、市長や多くのヴェネツィア市民の反対もあり、現在では白紙状態である。

ヴェネツィアの土地は、大陸からの川の流れに乗ってくる土砂、そしてアドリア海の波と風の力によって作られた湿地帯である。

元々はただの湿地帯だったが、6世紀頃に東方からゲルマン系諸族やフン族がイタリア本土のヴェネト地方に侵入してきたため、住民がこの湿地帯へと避難してくることから歴史が始まる。この時避難してきた先が現在の「トルッチェロ島」である。足場が悪い湿地帯のため、侵入者は追ってくることが出来ず、避難した人々はここに暮らし続けるようになる。干潟に住むメリットを保つため、干潟を荒らしたり干拓したものを極刑にする、という法を作ったり、普段は船が通れる道を杭で示していたが非常時にはその杭を抜く、など、干潟を守り、かつ、有効に利用していた。

アドリア海沿岸地域は元々東ローマ帝国の支配下にあるため、ヴェネツィアも同じように支配されていたが、697年、初代総督を選出して独自の共和制統治が始まる。

9世紀始め、フランク王国がヴェネツィアを支配下に置こうとして軍を派遣、そのため、トルッチェロにいた人々は更なる避難を余儀なくされ、現在のヴェネツィア本島へと移り住むことになった。このときにたどり着いたのが今の「リアルト地区」である。

810年に東ローマ帝国とフランク王国との間で結ばれた条約で、ヴェネツィアは東ローマ帝国に属するが、フランク王国との交易権ももつこととなり貿易都市への布石が置かれた。

このころ、ヨーロッパ各国では、その国の存在をアピールする目的でその国の守護聖人を求める風潮にあった。ヴェネツィアも同様に守護聖人を求めていたところ、福音書著者聖マルコの遺骸がエジプトのアレキサンドリアにあり、イスラム教徒に奪われる恐れがあることを聞きつけ、828年、それを奪い取りヴェネツィアに運んだ。この時よりヴェネツィアは聖マルコを守護聖人とすることになった。

10世紀後半からはイスラム諸国とも商業条約を結び交易を拡大した。さらにアドリア海沿岸への支配地域の拡大に努めていった。ジェノヴァなどの同じイタリアの貿易都市とは違い、都市の周辺海域が大国・東ローマ帝国の制海権内にあったために、イスラム勢力による海上からの直接的脅威を感じることが少なかったことも、イスラム諸国との関係を積極的に進める要因となった。

11世紀に、弱体化した東ローマ帝国の要請でアドリア海沿岸の海上防衛を担うことになり、その代償としてビザンティン内での貿易特権を得た。その後の十字軍遠征と、それに伴うアジアとの貿易との拡大によって、ヴェネツィアは勢力を拡大した。

1204年、第4回十字軍とともにヴェネツィア艦隊は東ローマ帝国首都のコンスタンティノープルを攻略、援助への代償としてクレタ島などの海外領土を得て東地中海最強の海軍国家となり、アドリア海沿岸の港市の多くがヴェネツィアの影響下におかれた。東地中海から黒海にかけての海域が、いわば「イタリア商人の海」ともいうべき状況になったことは、おなじ13世紀に、ヴェネツィアのマルコ・ポーロが黒海北岸から中央アジアを経て元へ向かうことを容易にさせた。

15世紀になるとオスマン帝国の進出により、ヴェネツィアの海外領土が少しずつ奪われていき、勢力にもかげりが見えてきた。1538年におけるプレヴェザの海戦で、ほぼオスマン帝国は地中海の制海権をおさえ、さらにヴェネツィアにとっての圧力となった。その上、大砲の登場により干潟に住むメリットが無くなってしまった。更に、貿易の対象がアジアに移ったことや、アメリカ大陸や日本の発見により、貿易の舞台はアドリア海から大西洋や太平洋に移り(大航海時代)、ヴェネツィアの貿易に対する影響力は低下していった。これに対してヴェネツィアはガラスやレースなどの工芸品を作ることで対処した。

1797年、ヴェネツィアはナポレオン・ボナパルトに侵略され、1805年にナポレオン支配下のイタリア王国に帰属、1815年にはオーストリアの支配下(ロンバルド・ヴェネト王国)に置かれるようになった。オーストリアは、港湾都市としてヴェネツィアよりトリエステを重視したため、ヴェネツィア経済は衰退した。1848年に共和国は一時復活したが1849年にオーストリアの攻撃により降伏した。1866年に普墺戦争がはじまると、イタリア王国はこれを第三次イタリア統一戦争としてオーストリアに宣戦布告し、この結果ヴェネツィアとヴェネト地方はイタリア王国に編入された。

1987年、世界遺産(文化遺産)に『ヴェネツィアとその潟』として登録された。